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2020/11/02

  • 校長先生からのメッセージ

2020年度 創立記念式典

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今日、聖霊中学・高等学校は第71回の創立記念日を迎えることになりました。聖霊修道会の管区長様シスター梅村をはじめ、大勢のシスターにこの記念式典にご列席をいただき、教職員と在校生と共に お祝い出来ますことを心から喜び、感謝申し上げます。

今年度、何回か校長室からいろいろな行事を皆さんに放送していますが、私の後ろにはマリア様のご像が飾ってあります。このご像が聖霊の創立時代からあり、私たちの学校と深い関係があります。今日は、このご像について話したいと思います。

名古屋聖霊学園の存続が、70年前、隣の国で起こった朝鮮戦争のため危うくなったことがあったことを皆さんは知っていますか。

名古屋聖霊中学高等学校は1949年に名古屋城の近く三の丸というところで創立されました。しかし、私たちの聖霊の校舎は始めから学校として建てられた建物ではありませんでした。聖霊の最初の校舎は元々、太平洋戦争まで旧日本軍が使っていた兵舎だったのです。聖霊会のシスターたちは戦後、アメリカ進駐軍が管理していた旧日本軍の兵舎を借りて、内部を教室などに改修して最初の校舎として使用しました。

しかし、この三の丸の兵舎を改装してできた聖霊中学校は、創立して2年を待たずして、大きな、大きな危機を迎えます。1950年に激しくなった朝鮮戦争の戦場の負傷者は、ヘリコプターで名古屋にも運ばれました。聖霊学園の近くが米軍の病院であったので、校舎まで負傷兵のうめき声が聞こえたそうです。そして、アメリカ兵の宿舎が足りなくなりました。そのため、突然、アメリカ軍は、聖霊の校舎を米軍に返すようにという命令を出しました。戦争に負けた日本にとって当時のアメリカ占領軍の命令は絶対的なものでした。初代校長のシスター・マルチンヒルデは、全校生徒たちにこのことを伝え、米軍がこの立ち退き命令を取り下げるように祈ることを呼びかけました。そして、先生も生徒も心を一つにして、放課後、9日間ロザリオの祈りをこのマリア様のご像の前で毎日捧げました。

一方、シスターマルチンヒルデは、東京の占領軍の本部の最高司令官だったマッカーサー元帥のもとへ直接お願いに行きました。皆さんは想像ができないかも知れませんが、その頃のマッカーサー元帥は、昭和天皇よりも総理大臣よりも権力を持っていた人です。そんな人のところに、何の紹介状もなく突然に乗り込んでいった校長先生は、きっと、学校を救うためならば自分はどうなってもいいと必死だったのでしょう。

しかし、マッカーサー元帥は朝鮮に視察に行っていて会うことが出来ませんでした。シスターはマッカーサー元帥あての手紙を書いて、秘書役のホイットニー副官に、元帥に必ず手渡すように頼んで名古屋に帰りました。その手紙には「私たちの仕事は商売ではありません。私たちは教育をしているのです。生徒たちを中学の卒業まで教育すると引き受けたのですから、今、やめるわけには行かないのです」と率直に書きました。

数週間後、マッカーサー元帥から自筆のサイン入りの手紙がシスターマルチンヒルデあてに届きました。それには「あなたの手紙を読んだ。あなたの希望に添うようにする」と書かれていました。校長先生の手紙が最高司令官マッカーサー元帥の心を動かしました。

聖霊中学校は創立当時、生徒たちがこのマリア様のご像の前で捧げた真剣な祈りとシスターマルチンヒルデの勇気と努力のお蔭でこんなに大変な試練を乗り越えて、守られ、今まで成長してきたのです。この学校を築き上げ危険から守ってくださった聖霊会のシスター、旧教職員、諸先輩の方々に感謝すると共に、シスターマチンヒルデと当時の教職員と生徒たちの模範に倣ってまず祈り、そして勇気と努力によってさらによい聖霊中学・高等学校を作って行きましょう。

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