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2016/09/14

  • 校長先生からのメッセージ

聖霊時報139号 「愛」とはなにか

霊の結ぶ実は、愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」

(ガラテヤ 五の二十二)

 これは、聖霊降臨を迎える時期に本校で各クラスに掲示された、ガラテヤの信徒からの手紙の一節です。

 

 みなさんは「愛」という言葉を聞いて、どんなことを頭に浮かべますか。先日、中学三年生の学年朝礼で生徒に尋ねたところ、「愛とは人間の感情の一つです。」という答えが返ってきました。みなさんも「友情」、「親子の愛」、「夫婦の愛」、「隣人愛」などさまざまな「愛」の形、言葉の定義が思い浮かぶことでしょう。他者を「好き」な気持ちが「愛」であると理解している人も多いと思います。しかし、聖書の中では、そのような感情のみが「愛」だとはされていません。

 

 イエス・キリストは、先に述べた部分と別の部分で次のように述べています。

 

「敵を愛しなさい」

 

 敵とは、本来、喧嘩の相手であり、憎むべき存在です。戦争においては戦う相手です。しかし、イエス・キリストは、聖書の中でそのような他者を愛するように説かれているのです。「好き」ではない相手をどのように愛せばよいのか、悩んでしまう人もいるかもしれません。

 

 一五四九年、日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、日本人に対して「愛」という言葉を使っていませんでした。「ご大切に」という言葉を使ってキリスト教でいう「愛」とはなにかを伝えたそうです。「敵を愛しなさい」という言葉を、「敵を大切にしなさい」という言葉に置き換えてみてください。イエス・キリストが言っている意味が理解できるはずです。たしかに、「愛」とは感情です。しかし、それだけではありません。愛とは努力であり、決心なのです。敵であっても、気に入らない人でも大切にするという努力をするべきであるとイエス・キリストは説いているのです。現実として、どんな世界でも気に入らない人はいます。しかし、その人を倒すのではなく、大切にする努力、決心をしてください。それが、イエス・キリストの教える「愛」です。

 

 聖霊にもそのような「愛」が、豊かに結ばれることを願っています。

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