• News & Information

2024/03/18

  • 校長先生からのメッセージ

2023年度 卒業式「理(みち)を研究(きわ)める」

IMG_4950s.jpg

 豊かな自然に囲まれた聖霊のキャンパスでは、1月に黄色いロウバイ、2月には白梅が咲き、そして、いよいよ桜のつぼみが膨らみつつあります。春の訪れを誰もが待ち望む本日、南山大学学長のキサラ神父様を始め、南山学園の理事の方々、父母の会カリタス、同窓会、ともの会の各会の会長をお迎えして、そしてこの新校舎で初めて在校生と共に卒業式を執り行うことができますことを心から喜び、深く感謝申し上げます。

 

 また、ご列席の保護者の皆様、本日お嬢様のご卒業、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。皆様には長い間、この聖霊中学・高等学校を本当に親身になってご支援、ご協力いただき、誠にありがとうございました。改めて厚くお礼を申し上げます。

 

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。過ぎ去った3年間、あるいは6年間の数々の思い出が今、皆さんの頭の中を駆け巡っていることでしょう。さて、入学以来、皆さんは新型コロナウィルスと共に過ごしてきました。先ほど歌った校歌を聞いているうちにふっと思いました。皆さんはこの3年間、感染防止対策のため、式典で校歌を歌うことはほとんどありませんでしたね。それにも関わらず、先ほどみなさんが歌った校歌は、本当に美しく、胸が熱くなりました。

 

 聖霊を旅立つこの良き日に、校歌の意味を皆さんと共にかみしめたいと思います。2番の歌詞にある、「祖先(おや)のため、御国(みくに)のため、理(みち)を研究(きわ)めん」ということばに注目していただきたいのです。この校歌が初めて歌われたのは1945年1月。秋田の聖霊高校の始業式でした。戦時中であることを考慮し、さまざまな解釈を可能にさせるためか、もしくは意味を考えさせるためか、作詞家の三條西伯爵は全部ひらがなでこの歌詞を書きました。終戦後、歌詞の中の「みち」には、「道路」、「道なり」の「道」があてられました。しかし、1990年代ごろから、この「みち」には、「理想」や「理性」の「理」があてられるようになっていきます。生徒手帳にもそう書いてあります。

 

 そして、「理を研究(きわ)めん」の「きわめん」には「研究」という二字があてられています。「理を研究めん」とは、理性や知性をもって研究して、探しながら、自分に合う生き方、「理(みち)」を見つけてほしいという願いがあると言えるでしょう。

 

 次に、「祖先(おや)のため」を考えましょう。この部分は、自分の親ために生きることと思われるかも知れませんが、親孝行をするために、という狭い意味ではないと思います。なぜならば、この「おやのため」の親の部分には、普通の「親」ではなく「祖先」と表記されているからです。今世紀だけでなく、江戸時代、戦国時代、はるか昔から数知れない多くの祖先たちが、困難を乗り越えて、生き抜いて、今まで命を繋いできたから、あなたが生まれたのです。祖先たちから皆さんに渡された生命のバトンを落としてはいけません。粗末に生きてはいけません。自分の親だけでなく、何百年、何千年も、命を繋いでくれた祖先に倣って、感謝しながら、強く生きてほしいという希望が、ここに込められてるのではないでしょうか。

 

 そして、「御国(みくに)のため」です。戦時中、「みくに」は大日本帝国だと解釈されたでしょう。しかし、母国のドイツから、遠い日本に派遣された宣教師のシスターピアたちは日本のためだけに、女子教育に携わったのではないでしょう。こちらにももっと広い意味があります。「主の祈り」をよく唱えてきた皆さんはわかりますね。「みくに」とは神の御国です。国境のない、すべての民族が平和で暮らせる神の御国です。神の愛と喜び、正義と平和に満ちている世界です。神の国を実現し、神の愛を広めるために生きてください。

 

 校歌の歌詞を借りながら、卒業生の皆さんに送る言葉、いや、私の祈りを最後に伝えたいと思います。清い聖霊が守る中で、ご両親を含む祖先たちに感謝しながら、神様の愛を広めるために、皆さんが理性をもって自分にあっている「理(みち)」をこれからもきわめつつ、御国(みくに)の花のように、永久(とこしえ)に美しく咲き誇ることができるように切に祈って、私の式辞といたします。

月間アーカイブ