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2015/10/19

  • 校長先生からのメッセージ

聖霊時報137号 「私の中高時代」 

 私が神父になったきっかけは、小学校6年生のときに、私が所属する教会に話をしに来てくれた神父との出会いでした。宣教師として南米の非常に貧しい教会で働いていたその神父が、一日一食しか食べられない子どもたちの世話をしているという話を聞いた私は、大きなショックを受けました。衣食住に困ったことのない私は、なぜ同じ世界なのに食べ物がなく苦しんでいる子どもがいるのだろうと考えました。そして、その神父のように、子どものために将来仕事をすると決めました。


 この夢を叶えるため、小学校を卒業してから大学4年生まで、宣教師になるために神言修道会の神学校で学生生活を送りました。全寮制の男子校で約150人の生徒がいました。神父の養成を目的とする学校なので、規律は厳しいものでした。学校の一日は、まず6時からの朝の祈りとミサで始まりました。昼食後1時間は掃除か作業です。放課後、スポーツの時間もありました。夕食の前と後は3、4時間自習することも決まっていました。最後に、寝る前の祈りで一日が終わりました。自由な時間は日曜日の午後だけでした。


 一ヶ月に1回、約5キロ離れた村まで買い物に歩きましたが、それ以外は神学校で過ごしました。退屈なように思われるかもしれませんが、広い敷地にある湖で、夏には水泳やカヌー、冬にはスケートやホッケーをしました。農場で家畜の世話や、森林でアライグマのような小さな動物の観察もできました。退屈な日は一日もありませんでした。決まった日課で仲間と共に祈り、勉強、スポーツ、作業をして、とても充実した日々を送りました。


 大学4年生のときに、日本の南山学園から中学・高校で英会話を教えてほしいと誘われたので、すぐ応募しました。そして、1973年に来日して以来、日本の中高生、そして、フィリピンの最も貧しい子どもたちと共に生きてきました。小学校6年生のころ抱いた夢を叶えることができています。皆さんも夢も叶えられるようにお祈りしています。

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