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2015/03/02

  • 校長先生からのメッセージ

2014年度 高校卒業式「共に涙を流すということ」

 昨日の恵みの雨を受けて厳しい寒さが和らぎ、聖霊の丘を囲む自然のなかに、静かに近づく春を感じます。本日、大勢の来賓の方々をお迎えして、ここに第61回聖霊高等学校卒業式を執り行うことができますことを心から喜び、皆様に深く感謝申し上げます。ご列席の保護者の皆様、お嬢様の高校ご卒業、おめでとうございます。こころからお祝い申し上げます。皆様には長い間本当に親身に、この聖霊中学・高等学校にご支援、ご協力くださいまして、誠にありがとうございました。改めて厚く厚くお礼を申し上げます。

 

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。 先ほど聖書朗読で読まれたように「あなたがたは世の光である。」――今、光の子である皆さんは、明るい目をして、顔も輝いています。しかし、中にはすでに目を赤くしている人もいますね。長く南山男子部で働いた私は、就任当初、聖霊の涙の卒業式に驚いたこともありました。聖霊生はよく涙をこぼします。でもその涙は、聖霊生の豊かな感受性の表れだと思います。皆さんがどれほど同級生、後輩、この学校を大事にしているかは、その涙でわかります。よく泣く優しい皆さんは私の宝物でもあり、聖霊高等学校の誇りでもあります。

 

 ところで今年一月、ローマ法王フランシスコ教皇がフィリピンを訪れました。たくさんの行事の中に、3万人の若者にむけた対話集会もありました。その集会で対話する人の中に、かつて路上生活をしていた子ども、いわゆるストリートチルドレンが二人いました。今はNPO団体に保護されて、普通の生活を送ることができている子どもたちです。 二人のうちの一人は14歳の青年で、彼は路上生活をしていたころに、見たことや経験したことについて話をしました。多くの子どもが親に見捨てられ、食事もままならず、虐待や暴力を受け、犯罪に手を染めざるを得ない自分たちの悲惨な現状についてフランシスコ教皇に話しました。次に、もう一人の12歳の女の子がこう続けました。「神様がいるのに、なぜ私たち子どもは苦しむのですか」と教皇に尋ねた途端、彼女は泣き崩れてしまいました。

 
 さあ皆さん、教皇はどうなさったと思いますか。少女が、「政府が悪い」とか「社会が悪い」ということを言ってほしいのではなく、ただ自分の苦しみを理解してほしい、自分を大切にしてほしいと思っているということを教皇はわかっていました。ですから、教皇は少女に一言もおっしゃいませんでした。ただただ涙ぐんで、彼女を抱きしめました。少女が落ち着いてから、教皇は集まっているすべての若者に、こうお話を始められました。「この少女の涙から、この少女の思いを感じ取りましょう。共に涙を流し、涙で清められた瞳でしかわからない真実がある」と。弱者と共に泣けるように、彼らの苦しみを分かち合うように、そして助けの手を差し伸べるように心がけましょうと教皇は説教されました。

 

 この教皇の言葉を知って、私はキリストが涙をこぼしたときのことを思い出しました。亡くなった友人の墓の前で、その人の姉妹と共に涙をこぼしたという聖書の箇所があります。人間となった神イエス・キリストは、弱者と共に泣き、そして彼らに救いの手を差し伸べました。イエスの模範にならって、弱者と共に泣くだけではなく、弱者の現状を理解して、それを改善するため助けの手を差し伸べましょう。先に話したフィリピンの少女の苦しみやつらさに心を痛め、涙を流すということ、これは弱い立場の人のことを考え、そして何をすべきかを考えることだと思います。 

 

 今日卒業する高校3年生の皆さんは、これまでさまざまなボランティアやチャリティーを企画して、世界に目を向け、弱い立場の人々の気持ちに寄り添おうとしていました。ですから、フランシスコ教皇のおっしゃった、「共に涙を流す」ということの意味がよくわかると思います。

 

 皆さん、これから先も弱い者の立場に立って共に涙をこぼし、清く、純粋なその目で周りを優しく見つめ、人の苦しみや困難がわかる心を育んでください。そして、その人々に助けの手を差し伸べられる人であってください。皆さんは今、この聖霊を卒業して、新たな世界に旅立とうとしています。それぞれが歩む新たな人生のその先々で、世の光となり、いつまでも光の子として優しく生活できることを祈って、式辞といたします。

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